自分が「 空 」とは?

私は僧侶でもなく「ブッダ」になるための「 仏教 」も学んでいませんので、私の考えは「 仏教ではありません 」。

「五蘊=空」=「 一切皆空 」=「色即是空 空即是色」(B密教)=(E=MC²)=「縁起縁滅」(A顕教)=空という関係で、「 自分 」を「空」と考えるにはどのように考えたら良いでしょう?

「 自分 」が「 空っぽ 」と言いましても「 われ思う 故に我あり 」というように「 自分 」が存在するのを「 空っぽ 」では説明が出来ません。

私見ですが、万物は、宇宙(自然)エネルギー(神・B密教)と生命エネルギー(仏・A顕教)の習合と捉えて、宇宙エネルギーは「 現象 」を生み、生命エネルギーはその「 現象を形として認める 」エネルギーでそれは、宇宙エネルギーが常に変動するに合わせて生命エネルギーも変動するから「無常」である。

自分も宇宙エネルギーと生命エネルギーの習合であり、生命エネルギーにより生ずる「 固執 」を無常なるものとして否定し続ける事が「 空なる我になる事 」であると考えます。

そのように自己変革を動的に考えるのが「 空なる我 」であると考えます。

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